芥川・直木賞に希望を覚えた
久しぶりに文学賞に興味を持った。中高校生のころ、純文学に憧れて芥川・直木賞の受賞歴がある作家を探し、阿部公房、堀田善衛、遠藤周作、司馬遼太郎、中上健次などを読むことができた。
なんて面白いのだろうと過去から現在へと進んでいくうちに、90年代以降からちょっと普通だな、と思い始め2000年代に入るともうこれは並み以下だろう、という作品まで出てきた。学校の図書館で長嶋有、桐野夏生、重松清を読んでこれはもう駄目だ、何の参考にもならない賞になったと憤ったのを覚えている。
「共喰い」は正直今あまり読みたくない感じの内容だが、ヘラヘラした受賞者の顔ばかり切り取られ報じられているのを見てなんだか生ぬるくなったなあ、と感じていた文学賞に久しぶりに関心が湧いた。
同時に受賞している円城塔は前に「Self-Reference ENGINE」をタイトルに惹かれて購入したものの全く付いていけず、でもなんだか分からないものに感じる面白さから、こういうものを読んでいる人は他に何を読んでいるのかと検索していて飛浩隆、伊藤計劃に辿り着いたという非常に幸運な思い出がある。
円城塔が未完に終わっている伊藤計劃の「屍者の帝国」を書き継いでくれるという幸福な知らせもあるので、「Self-Reference ENGINE」を再読しながら待ちたい。